History〜小水力発電と中島大の物語

第3章:1990年代 日本の市民運動が大きく成長した10年

バブル崩壊後の10年は「失われた10年」などと呼ばれますが、日本の市民運動が大きく成長した10年だったと思います。フルタイムスタッフをもつ市民団体が次々に誕生し、カバーする範囲も拡がっていきました。
私たちは株式会社ヴァイアブルテクノロジーを設立し、また同じような仲間が集まって自然エネルギー事業協同組合レクスタ(中小企業等協同組合法に定めのある組合)を設立しましたが、生協を設立したり、あるいは民法上の組合組織を取る団体もありました。
しかし当時は非営利市民活動を想定した法人制度がなく、市民団体の法人格を巡る議論が巻き起こりました。これはやがて公益法人改革という大きな流れを生み、1998年のNPO法施行を皮切りに、近年の社団法人・財団法人改革にまで到達して、非営利市民活動を支える制度的基盤が整いました。
また、今日では市民バンク・市民ファンドなどが普及してきましたが、さきがけとなった未来バンクが誕生したのは1994年です。 一方、環境分野で90年代の大イベントと言えば、92年にリオデジャネイロで開かれた「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)と、97年京都で開かれた温暖化防止会議(COP3)です。
地球サミットの当時はNGOとして国際会議に出席するのがどういうことか全くわかっていない方々が多く、とりあえず「国際会議デビュー」のような感じだったと思います。けれどもこの経験をきっかけに国際会議対応のノウハウを学ぶようになり、COP3のときにはホスト国のNGOとしてなんとか切り盛りできるくらいには成長したと思います。

こういう流れの中で、私自身は「市民事業」と称して、(株)ヴァイアブルテクノロジーや自然エネルギー事業協同組合レクスタでの、コンサルタント業務や自然エネルギー工事を行い、その位置づけについて「市民事業~共生社会における新しい事業の概念と可能性~」(東京市政調査会『都市問題』1998年9月号)という論文にまとめました。
NextContents 2000年代
  • 第1章:1980年代 第一次エコロジーブーム
  • 第2章:1988〜92年 日本の市民運動の大きな転換点
  • 第4章:2000年代 独立した小水力発電団体の立ち上げ
  • 第5章:小水力開発支援協会の設立
  • 第6章:これまでと、これから